自己紹介(時事について:自分の根底にある考え)

時事について述べるには、私の履歴の一部を説明させて頂きます。
中学1年生の時に、姉が学校からもらって来ていた「進路のてびき」という冊子がありました。

普段だったら気にも留めることもないのに、その時はなぜか手に取って開いてみると、
自衛隊生徒 というページで、目が釘付けになってしまいました。

そこには、自衛隊の高校があって給料をもらいながら高校卒の資格がもらえるというような事が書いてありました。
地元があまり好きではなく、どこか街を出る事が出来る合法的なというか、まっとうな方法がないか考えていた私にとって、自衛隊生徒はすばらしいものでした。

次に考えるべきは、入るのにどのくらいの程度の学力が必要なのか?というものでした。
調べてみてもわからないので、その「進路のてびき」に書いてある連絡先に片っ端から電話をかけて聞いてみました。
結果わかったのは、私の住む県では、問い合わせた前の年が、受験者500から600名で合格者は5名だった。レベルは? 学校区(受験出来る選択肢)の中で、一番レベルの高い高校のレベルより少し上くらいと思って下さい。というような事を言われた覚えがあります。

それを聞いてがっかりしました。そんなレベルの高い学力は自分には全くあてはまらず、無理だろうと思わざるを得ませんでした。でも中学にも入っていないのにそんなにかんたんにあきらめていいのか?という思いがムクムクと現れて来て、勉強を頑張った結果、何とか合格を手に入れました。(自分の人生で一番勉強した時です。)

合格して、当時は少年工科学校という名前で神奈川県横須賀市にありました。最初に頂いた給料は ¥92300でした。
普通の学校のクラスに相当する40名位の区隊という編成で、中学時代に生徒会長をしていた人がどのくらいいたかというと28名もいました。だからしっかりとした考えの人が多く、入学してすぐに受験した神奈川県統一学力テストでは、少年工科学校は確か一番だったと思います。

そんな中で純粋培養された私は、自衛隊という組織の中にある自分という前提で、色々な事を考える事となり、左翼的な偏った教育を受ける事もなく育ってよかったと思います。

海外で勤務した時によく聞かれたのが、日本はなぜ自衛隊という変な名前なの?とか、職業としての自衛官、日本での地位はどうなの名誉があるの? というような事を大抵聞かれました。答えるたびに「日本はおかしな国ですね。そんな考え方は世界では通用しない」というような趣旨で反論されたものです。

私の思想・信条は少年工科学校で学んだ事が多いに刷り込まれていると思いますが、決して偏った事は教わっていなかったと思います。日本の歴史で、昭和初期の出来事を反自虐的に教わった訳でもなく、ただただ反省するだけでもなかったと思います。

自分の人生で最も印象に残る出来事のひとつを紹介させて頂きます。
阪神淡路大震災の頃の事です、話は少しもどり、前の年の9月に全国各地で防災訓練がありました。その時に私は兵庫で行われる訓練に参加する予定でした。しかし訓練に参加する現場で反対運動があり、代表者が私達自衛隊に、「我々が憲法違反の自衛隊の皆さんのお世話になる事はありませんので、この訓練に参加しないで下さい。帰って下さい。」との申し入れがあり、締め出されたのです。

同じように神戸にある大病院で、自衛隊の救急車が患者を搬入する手順などを確認に行きますと、そこでも反対運動があって病院の入口に入れて貰う事すらも出来なかったのです。その時の事はテレビでニュースにもなりましたが、それを観た多くの国民は私達自衛隊に同情してくれる事もなく、兵庫の対応が当たり前だったのです。私達は憤慨したものです日本は間違っていると。

次の年に阪神大震災が起こった時、県からは自衛隊出動要請もなく、近隣の自衛隊の指揮官が何とか理由をつけてヘリを飛ばしたりして様子を報告したりしましたが、それでも「自衛隊は何をしていたんだ、遅いじゃないか。」と難癖を付けられました。「自衛隊はいらない出て行け」と言われ、出たら出たで「遅い、自衛隊は何をしていたんだ」という非難です。

結局、阪神大震災が終わった時に「自衛隊さんありがとう」という横断幕で見送られ、次からは防災訓練にも参加出来るようになりました。今では何か災害があると頼りにして頂けますし、迷彩服で違和感があると言われる事はありません。昔の言葉で言うと、「自衛隊を是認する世論が形成された」という事でしょうか?