太鼓の事(開設二年目の太鼓団体の事務局をしています。)

二年前、太鼓の活動を始めるという事業というか企画に絡む事になりました。

理由は、身近に全国大会優勝実績レベルの太鼓指導者さんがいたからです。
でもお金がなくて最初から太鼓を購入する事も出来ず、はじめはテーブルを太鼓に見立てて手でリズムを叩くという
ところからスタートしました。

そのうち段々とお金が集まって太鼓が買えるようになり、本格的に練習を始めようとした訳ですが、次の問題は練習する場所がないという事です。自治体の持ち物であるコミュニティーセンターや公共のホール、個人経営のライブハウスなど色々見てまわりましたが、どこの施設でも言える事は、揉め事を起こしたくないわけです。

だから、「こちらで太鼓の練習をさせてもらえますか?」と聞くと、半分以上の施設では近隣の方から苦情がある。との理由で断られます。あとの半分は「大丈夫でしょう」という事でお試しで借りる事になるのですが、やはり苦情が来て途中で退場する事もありました。

ここで思い出すのは昔、厚木基地で勤務していた時、騒音が裁判沙汰になり、反対派の活動家が基地の周りを人の手で繋いで取り囲もうという企画?をした事があって、段々と反対派の活動家が基地を取り囲む様子を見ていた事がありました。集まった人の大半は、弁当プラスアルファで雇われたバイトだったみたいで、こういう風に対応して下さいというような事が指導・説明される場面を見てしまいました。

その時に言われていたのが「静かな環境を返せ!」というシュプレヒコールでした。
その言葉が何度も反芻され、周辺住民が騒音で迷惑、騒音被害を受けているんだ、という言い分ですね。
しかし考えてみたら厚木基地はかなり前、戦前から存在する訳で、静かな環境は最初から無かったのにも関わらず、
返せという言い分は理不尽だろうと思った昔の出来事を思い出しました。

話は戻りますが、結局のところ太鼓の練習が出来るのは、郊外も郊外のここは市内?と思う程の外れにある施設でなければ借りれない状況です。

そして今年、活動も二年目に入ってオリジナル曲だけの演奏曲が何曲か持てるくらいになったというところです。
私は事務局で裏方なので太鼓を叩く事はありませんが、今から飛躍するであろう太鼓の団体をしっかりと見守って行こうと思います。

自己紹介2

本日は自己紹介2で、 パソコン(マック)遍歴を紹介したいと思います。

私がPCと出会った事を思い出すと、最初は中学1年の時にNECから彗星の如く表れた、PC-6001 というコンピュータが発売され、同級生が購入したので触らせてもらったのが最初です。

そして高校生の時に、強制で加入しなければならない文化部に数学研究部という部活に入って、CASIOのポケットコンピューターで遊んでいましたっけ。小1時間くらいせっせとプログラムを打ち込んで月面着陸ゲームをしたものです。
途中でエラーが出た時の悲しい事、いまでも思い出せます。

そして24才の時に、フライト関係の仕事で岩国にいたときに、当時 垂直離着陸戦闘機 AV-8 のパイロットだった友人が、FLIGHT LOG という名前だったと思いますが(検索しても見当たりません。)素晴らしいアプリがあり、見せてもらってそのアプリを動かすためだけにマッキントッシュを購入しました。確か30万円台だったかな?

AV-8 のパイロットの友人は、何とアメリカから飛来した時に、席の後ろの空きスペースに マッキントッシュクラシックを積んで来ていました。今では考えられませんが、当時は個人のPCを平気で公の場で使えたのです。

そして何台かマックを使い続けて、漢字Talk7というOSだったと思いますが、これがクセモノですぐに固まる・クラッシュするで、アプリを立ち上げたらいかに早く保存するかという癖がここで身に付きました。
職場ではまだMS-DOSの時代でしたが、やがてWINDOWS3.1 から WINDOWS95 が出て、インターフェースがマックと、とても似ていたのを覚えています。この頃はまだWINDOWSもそれほど独占状態ではなく、周りではワープロ全盛期でした。ルポとか文豪なんか、懐かしくないですか?

そして決定的になったのが、WINDOWS98 SE という製品が登場した時に、一気にWINDOWSの寡占状態となったのでした。私も職場ではWINDOWSを使わなければならず、この頃から POWERPOINTで会議資料が作られたものです。
この頃、仕方なくIBM Thinkpad というノートパソコンを購入しました。確か平成11年くらいかな。

それから平成22年くらいまではマックには全く触れることもなく時は過ぎ、APPLEのCEOがマックの根本的改革をした事が功を奏してようやくMACもビジネスで使い物になるようになったと感じ、マックに戻り今に至っています。

今は、PowerBook Pro 15.4 と PowerBook12 の2台を駆使しています。

自己紹介1

はじめまして、ブログを開設しました。

 

これまでは公務員だったし、忙しかったので全く自分がゆったり出来る時間がなかった(要は作らなかった言い訳)ので、ブログをする余裕はなかったのですが、

 

退職して時間も出来たところで始めようと思っていたところでした。

しかし、退職早々に病気になってしまい、病気に向き合っている間にこんなにも時間が経って(2年も)しまって今日に至ります。

 

これからブログを始めるに当たり、以下のジャンルで続けて行こうと思いますので

ハードル低くして行きたいと思います。

1 病気の事(関節リュウマチ

2 パソコン(マック)

3 太鼓の事(開設二年目の太鼓団体の事務局をしています。)

4 時事について

5 大好きな家電製品

 

以上ですが、今回は1の病気の事について自己紹介がてら簡単に説明させて頂きます。

 

1 病気の事(関節リュウマチ

    3年前に発病、肩に症状が出て急速に進行、今は人工関節になり2週間に一度注射を打ちながら症状を抑える生活をしています。私は幼い頃から肩が弱く、スポーツテストでもボール投げ種目では平均を大きく下回る位にしか投げられませんでした。ボールを投げる動作をすると、肩が悲鳴を上げて萎縮してしまうという癖?というか症状があって子供ながらに悩んでいたものです。小さい頃は野球が好きで、プロ野球選手を目指してリトルリーグに所属していた事もあり、左利きに変更して対応しようとした苦労を思い出します。(左利きになる事で、グローブも買い替え、守備で苦労しました。)

 野球はそうして克服しました(当然、アマチュアレベル以下です。)が、成人してそれこそ、体操する時でさえ、痛くて腕が上げられなかったり、水泳でもクロールで痛い腕だけがしっかりと上に上がるフォームを作る事が出来ませんでした。

 病院で診てもらっても、単なる関節痛としかならず、根本的なところへは行き着かないままでした。

 3年前、朝目覚めたら身体が言う事を効かず動けないという前代未聞の症状となり痛みも酷かったので救急車で搬送されるという、私にとっては初めての経験でした。

 運ばれた病院では結局わからず、改めて通院した時に「滑膜」があるというエコー結果から血液検査を経て、やっと私の関節リュウマチがわかり、今に至っています。

 人工関節の手術を受けて、一部麻痺となる部分もあり、障害年金2級の認定を受けていますが、毎月掛かる医療費が高額で、頭を抱える生活を送っています。

 私の病気についてはこんな感じですが、障害年金の申請・認定までの流れや、服用した薬の副作用、血液検査の結果に踊らされたり。と色々ネタはあるようなのでその辺りをまた紹介させて頂きたいと思います。